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川嶋孝男(アルバムズ)の飛び道具列伝

もっとも飛び道具に近い飛び道具メンバーでない人、アルバムズ代表の川嶋孝男が飛び道具メンバーについて何かしら書いていく連載のコーナーです。川嶋の独断と偏見による飛び道具メンバーの裏側をどうぞ。
「名前の上の希望的観測」堀田華王

飛び道具には暗黙の了解というか、お互いに申し合わせなくても共通の認識をもっている事柄がある。「座長に逆らうな。」とか「山口の言うことは話半分で聞け。」とか「永田に金を貸すな。」とか。そんなひとつに「堀田華王は清水国明に似ている。」がある。
清水国明とは、あのねのねのリーダーの清水国明である。京産大出身の清水国明である。年がら年中キャンピングカーで暮らしている清水国明である。「本を売るならブックオフ」の清水国明である。堀田華王は名前に「華」をもつ。しかも華の王ときた。大きく出たものだ。大胆としか言いようがない。華の王である。いや待て。華の王とはなにか。華の中でもエリートということか?薔薇とか蘭か?「You are the top of flower」なのか?いやあれは花水木だ。それもホテル花水木だ。しかし華の命はけっこう長い。つまり大地真央か?ますます分からなくなる。いや嘘だ。申し訳ない。正直なところ無理に分からなくしている。大学時代は立命館大学の文文座で活動。藤原氏・大内氏・伊沢氏のひとつ下、直系の後輩である。現在、飛び道具に文文座出身は他にいない。そんな縁で飛び道具には旗揚げ以来よく顔を出し、何度も客演している。が、長くフリーランスの役者だった。背が高くない上に、筋肉質な上に、声が大きい。舞台役者にとって好条件が揃っている。彼の舞台での立ち居振る舞いに曖昧なところがないのもそのためだろう。見ていて気分がいい。殺陣なんかをさせればなかなかのものだ。だが彼には華がない。残念だが華はない。先ほど、なぜ無理に分からなくしたのか。それは華がないから。名前にはあるが、彼にはない。無いから名前に付けたのではないかとさえ思わされる。華と付ければなんとかなるんじゃないか、と。幸せな子になってほしいから幸子と付けるように。しかし苗字が「臼井」だったような落とし穴。そんな不条理が彼に見え隠れする。だからこそ今後の成長を見守りたい。花開け堀田華王。
それにつけても、どういうつもりで堀田華王似の清水国明をCMキャラクターに選んだのか、ブックオフは。('04.11.7)
「未完少女」伊沢はるひ

「飛び道具」と聞いて、一番に思い浮かべるのがこの人である。何故かはわからない。今から考える。そもそも劇団飛び道具の前身は「飛び道具プロデュース」といって、藤原大介、大内卓そして坂口みかんが中心となった一度かぎりの公演だったそうだ。「坂口みかん」、古くから飛び道具を知る人は知るとおり、「伊沢はるひ」のことだ。なぜ「みかん」か。いろいろ想像させられる。黄色いのか?何房かあるのか?それとも頭に非常に小さい何かを載せているのか?しかし、いろいろの想像が玉突き連鎖を起こす前に、彼女が和歌山出身だったと思い出し肩を落とす。まあ蜜柑の中に生まれ蜜柑のように育った純朴な少女です的なことを、それとなく主張したかったのだろう、と落ち着く。ともあれ彼女は飛び道具の最古参。それが飛び道具の代名詞として私の頭に染み付いているのかもしれない。実はこれを書いている現在、彼女は飛び道具をお休みしている。休んでいるといっても家でボンヤリ口を開けているのではない。いろいろやっている。ひとつは「笑う、神々」というプロデュース公演で作家デビューを果たしている。また京都芸術センターの企画、『継ぐこと・伝えること番外編「鳳人話 ひのとりひとのはなし」』での演出助手を担当。演出の求めにフットワークも軽く図書館や美術館に出たり入ったり、東京にまで足を伸ばす気合いの入り方だ。彼女は昔から役者をしている時だけでなく、スタッフワークだって脇目もふらず突き進む人だった。この「突き進む」を「飛び出す」のイメージで重ね合わせて強調すれば、前述の「飛び道具と聞いて──」と係り結んだようになって、このコーナーも締めやすくなる算段である。
ともあれ役者一筋だった彼女が、舞台の裏側に専念すれば、演劇人として更なる成長を遂げるのは間違いない。どこまで大きくなり続ければ気が済むんだ。まさに未完の少女なのである。おわかりとは思うが、ここは「みかん」と掛かっていると申し添えるのである。('04.9.7)
「遅れてきたルーキー」北 九天

まだメンバー紹介のページにも登場していない最新人、北九天(キタ・キュウテン)氏。新人だから若いのかと思いきや平貴之氏と立命館大学・学生劇場時代で同期だった。同期であるにも関わらず、平氏を「さん」付けで呼ぶ。平氏は「北くん」と。トビ語辞典を紐解くと、ら行に「リトルバー」とある。飛び道具の面々は打ち上げや忘年会といった宴会行事の二次会に、決まってリトルバーに寄った。河原町六角は京都でも一等地。そんな店のメニューにはキチエモンスペシャルとかいう、悪い人や血の通ってない人が飲むような、緑色したカクテルがあったそうだ。そして、なにを隠そうリトルバーのマスターこそが、北九天だった。しかしリトルバーは'03の夏に閉店。理由は明らかにされていないが、そのニュースは瞬く間に飛び道具内を駆け抜けた。落胆する面々。その矢先の北氏の電撃入団である。しかし仲間が増えたからといって、にわかには喜べないのが飛び道具の悲しい性。懐の寂しい面々が、バーというお洒落めいた響きに触れられる唯一の店だったのだから無理もない。北氏が、これから飛び道具で認められるには、演技力を高めることよりも、タダ酒をチラつかせた方が早いのかもしれない。
実は、これは2003年12月公演『sofa』に間に合うよう書いた文章だが、ちょっとした手違いで年を跨いで『アイス暇もない』の公演前から掲載されそうだ。既に北氏の初舞台をご覧になった方も多いことだろう。('04.2.18)
「永遠の少年」藤原大介

様々のエピソードを持つ座長・藤原大介氏であるが、今回はアルバムズの第1回公演に客演してもらった際の一場面を報告したい。本番前の、ご飯を食べようかという少し和んだ雰囲気の楽屋でのことである。おもむろに藤原氏はこう言った。「あー、スーパーカミオカンデがあったらなあ。」時間が一度止まった気がする。ご存じだろうか。スーパカミオカンデとは東大の物理観測施設で、小柴教授をノーベル賞に導いたアレである。もう一度言った。「カミオカンデさえあったらなあ。」楽屋にはアルバムズメンバーをはじめ、飛び道具関係者がほとんどであった。だから、最も的確な対応をとったのだ。つまり、無視した。誰もがその言葉を聞き流して、その話題の終わるのを待ったのだ。どうして、無視することが的確な対応だったのか。みんな瞬時に察したのである。もし「カミオカンデがあったらどうなんですか?」とでも訊こうものなら、「ノーベル賞を獲るに決まってるやん。」と、当然のようにまた侮蔑を臭わせて答えること分かっていたのである。人は苦い経験を経て、大人になる。飛び道具の人達にそんな大人さ加減を垣間見たひとときであった。また、藤原氏のつまらなそうな顔ったらなかった。